岩崎究香「祇園の教訓」他、ちょい読み

20090625-4 岩崎峰子「祇園の教訓」他、ちょい読み
旧名・芸妓名ともに岩崎峰子で書籍の著者も岩崎峰子でしたが、2006年に岩崎究香に改名したそうです。先日、ブックオフオンラインで見かけた書籍なんですけど、サイトで京都の話題を書いていることや、どうしても気になるということで、書籍を2冊購入してみました。中古本で、2冊で安いと感じる値段だったんですが、ちょっと読んでみると、興味が広がるような内容が書かれています。購入した書籍は、

  • 『祇園の教訓―昇る人、昇りきらずに終わる人』(2003年7月25日)幻冬舎
  • 『芸妓峰子の花いくさ―ほんまの恋はいっぺんどす (講談社プラスアルファ文庫)』(2002/09)

Amazonのレビューではどちらとも切ないほどに辛口のレビューが多いですが、辛口レビューのもとは何かちゃんと解明してみたいですね。ということで、この記事は、ちょい読みで、気になった部分。


『花いくさ』の書籍は、書籍をもとにドラマ化されているようです。
色々調べていると、何か興味深いことがぽろぽろ出てきますが、私は知らなかったのですけど話題の人みたいです。
「平成19年度文化庁芸術祭参加作品『花いくさ ?京都祇園伝説の芸妓・岩崎峰子?』」 – フジテレビ
私がちょっと読んでみたのは『花いくさ』のほうで、序章の「祇園甲部の花柳界」(ぎおんこうぶのかりゆうかい)という部分では、日本の伝統文化についてどういう風に感じていたのか、こんな誤解があるということが少し書かれています。
わたしは京都に住んでいながらも、ほとんど祇園には寄りつかないので、京都の中でも気軽に遊びに行くことはほとんどありません。

伝統を守るために特定の場所に隔離された形で生きている(P20)

と書かれているように、普通の人が衣装を着て歩いている姿は見たことがあるんですけど、本物の芸妓さんは見たことがありません。

「祇園甲部はほんのひとにぎりのゲストにのみ解放された花街であるのは事実(P20)」

一般の人が思っていることとギャップがあるということには、やはり書籍を読むまで気付かなかっただろうなあと思いました。

一般の多くの人は、芸妓、芸者、娼婦、売春婦などのちがいをまったくわかってはいず、自分の固定観念から、外国人の「フジヤマ芸者」認識と同様に、花柳界、花町を判断してしまい、祇園甲部の芸妓や、その他の花柳界の芸者衆を、世の中の男性のお相手をするホステスまがいと思ってしまっているようですが、これははなはだ失礼千万なことだと思います。

ごめんなさい。違いがわかっていませんでした。
どこか閉鎖的な、近寄りがたいイメージがあるのは、このような一般の方の誤解から、舞妓さんたちが、なんもしりまへん。と、あきらめてしまって教えてくれなくなっていると書かれていますが、今はどんな感じなんでしょうか。今も変わらずと言ったところでしょうか。
ホントのところはどうやって確かめたらいいのかわかないですが、自分とは違った環境や感覚がある、たとえば書籍では

俗世を超越しているようなところ(P323)

と言ったようなことが書かれていることから、感覚的に何とも言えない何かを感じながらそこに身を置いているのだろうかなあと思いました。
あと、時代背景も、私からの目線だと、ひいおばあちゃんの時代(尋常小学校の話しがでてくるので)くらいじゃないのかと思うので、そういう感覚の違いはあるのですが、理解できないわけでもない気がしました。
体験したことのない私には、どういう感覚なのか、疑問なところなのですけれど、否定的ではない姿勢でちょっと、その世界に浸ってみるのは面白そうです。妄想(想像)が追いつく範囲だといいんです。
芸妓さんというプロといえども人間らしく一生懸命生きていて、その存在は、理想や幻想を抱くような、映画の主人公のような何かであるわけではないということも見え隠れしています。
というわけで、書籍に関しては辛口レビューも含め、何に甲乙つけるとも言えないので、この記事を読んだ方は、元・祇園甲部芸妓さんに、本を出している人がいるっぽいというのと、祇園にはこんな日本の伝統文化がいまもなお続いているということに、ほんのちょっと関心を持ってもらえたらなあと思いました。
あのキャラだから、本を出したり活動をしたりする、元気な女性だという印象も受けました。
元気がないときに読むと、内容は厳しいことも多いみたいで凹むと思うので、ナイーブな方はご注意を。

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公開日:2009年06月25日
更新日:

この記事を書いた人・サイト運営者
もかり もかり(
30代、京都在住の娘2人の母。人柄が「昆布みたい」と大絶賛されたことがあるハンサムとお笑いとお寿司と自然と動物が好きなオカンです。⇒プロフィールはこちら

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