先日、「嫌われる勇気」という本を電子書籍で購入して読み終えました。どういう人におすすめなのかわからないけど、読んでよかったなと思った本でした。
読み終わってから、読む前とは違う考え方を手に入れることができたような、今まで感じて漠然と言葉になっていなかったことが、整理されたすがすがしい気持ちになりました。
Amazonで見る
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
「嫌われる勇気」を読んだ 目次
劣等感と劣等コンプレックスの違い
“繰り返し読みたくなるような本であった”という意見がありましたが、私も同じ感想です。
この本に出てくる青年は、たぶん劣等感(劣等コンプレックスなのかな?)を持っており、悩ましい状態にあるようでした。
自分にも存在するし、他人からも感じることがある身近に感じるものなのは確かだけれど、今までちゃんと考えたこともないことでした。
本の中で出てきた、頭の中で整理できなかったキーワードをここで整理したいと思います。
劣等感
誰にもあるもの。悪いものではない。
人は劣等感を長く持ち続けることはできない(我慢できない)ほど重いものである。
私には何らかの欠如がある状態(劣等感)は、努力や成長で補償するか、劣等コンプレックスに踏み込む。
劣等コンプレックス
劣等感を言い訳にしはじめた状態。
「Aであるから、Bできない。」という状態になること。
例:私は学歴が低いから、成功できない。など。
「私は学歴が低い」というのが劣等感。学歴が低い=成功できないではない。
成功できないのではなく、成功したくない。もし「学歴が低い=成功できない」であるならば、「学歴が高ければ成功できる」ことになるが、そういうもんでもない。
優越性の追及
努力や成長の促進剤である。
劣等感(何らかの欠如があるという状態)を、努力や成長で埋めようとする状態。
劣等感から優越性の追及をはじめ、自分を理想の状態にしようとすることを目指す。
優越コンプレックス
偽りの優越感に浸ること。
自慢をしたり、過去の栄光にすがり思い出話ばかりしたりするような状態も、優越コンプレックスになる。
この本で言われる、健全な劣等感は「他者との比較」の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものなのだそう。
怒りは道具である理由
本の中で怒りに関しても違いがあることを知りました。
これは違いがあるらしい。
私的な怒り(私憤)
社会の矛盾や不正に対する憤り(公憤)
怒りの矛先がいまいち謎な怒りがたまにあるけど、これは公憤だったのか。
私の場合は、雨が降ることによく怒ってます。
私的な怒りというのは、他者を屈服させるための道具として使われておるそう。
わたしとあなたという、対人関係の中で怒りが生まれる時は、相手が仲間ではなく敵ということになっており、相手を屈服させたいという心理状態なのでしょうかね。
夫婦関係でも、私はよく夫に怒りますが、なんで怒ってるのか自分でもわからないときがあります。もしかすると、夫を屈服させたいわけですね。強気すぎです。
別に怒るという表現方法をとらなくても、うまくやる方法はあるのに、あえて怒るということは、怒りを道具として使っているのかもしれません。私的な問題を持っているならそれは自分で解決するほうが平和になりそう。
今日はここまで
この本には、もっといろんなことが書かれていますが、あまり理解していない私の話はここまで。
いろいろと自分の身近で起こっていることを、この本の考え方を参考にして考えると、新しい気づきが得られるかもしれません。
気づきを得たからといって他者をどうこうすることもしませんが、これまで慣れ親しんでいる見方以外で世界を見ることができたら素敵かもしれません。
また、この本の著者の岸見一郎先生は京都出身京都在住だそうです。
+++
電子書籍版があったので、私はKOBOの電子書籍版を購入しました。
嫌われる勇気自己啓発の源流「アドラー」の教え-【電子書籍】
(※私が電子書籍を読んでいる端末は白黒表示なので、記事のはじめの表紙の写真も白黒になっています。カラーだとどう表示されているのかは私は知りません。)
この本は読んだ後に、自分以外の感想を知りたくなったのですが、そんな感想が読める場所のひとつに、Amazonがカスタマーレビューの件数が多いので見てみてください。