坂口安吾と友人とその家族とわたし

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私は坂口安吾のファンで、坂口安吾はわたしが青春時代生き難いと思ったことをはらい去ってくれた、恩人であり今もなお敬愛する人物の一人です。彼が学生時代「偉大なる落伍者となっていつの日か歴史の中によみがえるであろう。」なんていうエピソードがありますが、今もしっかりと生き続けていますよ。安吾。
私は安吾がとても好きだったことと、新潟出身の友人がとても私と仲良くしてくれている縁もあり、学生時代の最後に新潟に行くことにしました。関西から出たことがない私が、新潟に行くなんていうのは、安吾がいなければおそらくなかったと思います。
というのは少しちがって新潟の苗場で野外音楽フェス「フジロック」が開催されているというのもわたしを新潟に行かせた理由かもしれませんね(^^;
私が学生時代のころ新津市という市が新潟にあったようで新津市のサイトを見て新津市に行きました。
私が学生時代から今もあるサイトに安吾探索マップというのがあるのですが、そこを参考に、新津駅付近にある安吾碑 ・新津市図書館・安吾追憶の道 を見て、そのあと新潟駅に移動して、日本海を見ながら「ふるさとは語ることなし」という記念碑の前で昼寝をしてしまいました(疲れたんです)。夏の新潟は暑かったんです!!
翌年の2005年3月21日に新潟市に編入合併たようで現在新津市はなくなってしまったようです。


私は夏ごろ新潟に行きました。新潟と言えば、夏でも雪が降っているのでは?!と思いこんでいたのですが、むしろ関西より暑いんじゃないの?と思うくらい暑く、長そでを持って行っていたのに、日焼け対策に使うくらいしか使えませんでした。
新潟での一番の思い出は、宿泊させていただいた友人の家族の皆さんがとても親切に手厚くもてなしてくれたことです。このご恩は一生忘れません。そしてなんて新潟はいいところなんだ!と思って、関西に帰ることができたのも、友人のお母さんの新潟の家庭料理やユニークなおじいちゃんとなんかすごい鯉のおかげだなと思います。庭にいる鯉がすごすぎました。
そういえば鯉で思い出しましたが、年頃の娘三人で京都から新潟までは青春十八きっぷを使い日本海経由で移動していました。途中、直江津駅で降りたら、詳細はよくわからなかったのですが駅前で直江津祭りというものがあり、年頃の娘三人で鯉を手づかみで捕獲した気がします。恋もつかめたらよかったんですけどね・・・。
京都に戻り、私のゼミの教授に「新潟がとてもよかった!」と報告したら、ドイツビール+ソーセージ御贔屓の教授が「日本酒は飲んだのかね?」(飲んでないならもう一回新潟に行ってこい!)という勢いでした。飲んでません…orz。枝豆食べて、フジロックでビールをあびるように飲んで(ついでにすごい散財)、芝生の上で爆睡してました…。とは言えず。
新潟、また行きたいです。
すごい広くて解放感があり、自然も豊かなところなんですね。
友人のお父さんには「冬に来るとおもしろいぞ!」と言われましたが、見せてもった写真が壮絶すぎて、大量の雪をみたことがないわたしにとっては、(生死にかかわりそうなレベルだと思うんですが?!)と思い、その時は、丁寧に断りました。その友人の高校生時代の「雪と闘いながらの通学エピソード」が、何かの冗談かと思っていたのですが、(ほんとだったんだ…)と思った瞬間でもありました。
坂口安吾デジタルミュージアムという坂口安吾の情報を今もなお公開してくれているサイトがあります。現在も行われている坂口安吾のイベント情報なども発信されています。今日たまたま「坂口安吾デジタルミュージアムニュース?#2009年6月号」というメールマガジンが届いたので、なんとなく記事を書いているのですが、6月16日は坂口安吾の失恋記念日なんだとか。確かに。そんなこともあったみたいですね。
参考:坂口安吾デジタルミュージアム:年譜
そんなわけで、まだ、坂口安吾を読んだことがない方に、手軽に坂口安吾作品に触れるならどれがいいか?と聞かれたら、インターネットの青空文庫というサイトで坂口安吾の作品は読めます。ただ、インターネットで読むとなにか違う感覚もあるので、新潮文庫の堕落論なんかどうでしょうか?私が初めて坂口安吾の作品に触れたのもこの書籍です。この書籍がきっかけで、今も坂口安吾のファンです。

わたしは、坂口安吾が大好きです。
そして、新潟に行けたことも、新潟に住む友人の家族にも色々なことに感謝していて一生忘れることがないなにかがあった、新潟エピソードです。わたしにとって新潟というのは「坂口安吾・フジロック」なので、文化的で文化に理解のあるイメージがあります。

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