オ・グルニエ・ドールのパッケージに絵が使われているということから知った、小林かいち氏。
大正後期から昭和初期にかけて活動していたようなので、昭和初期の文学が好きな私は、絵は知ってはいましたが、作者は知りませんでした。京都の画家だったというのも。
Wikipediaの小林かいち氏のページを見ていると「作風はアール・デコスタイルで叙情性をもち大正ロマンを感じさせるものである」と書かれているように、こういうのが好きな人は何度か目にしている絵かなと思います。私は、谷崎潤一郎の『卍』も読んでいましたが、小林かいち氏はぜんぜんひっかかっていませんでした。
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京都の画家、小林かいち?
小林かいち氏(1896年-1968年)は、大正後期から昭和初期にかけて京都で活動していた画家だということはわかりました。作品集は私は持っていませんが、見本を手にして見ていると、絵ハガキや紙封筒のデザインが多いようです。
セミナーでかいち氏の息子さんがおっしゃっていたように「後半生は、京都の「鷲見染工」という染色会社などで友禅の図案家」として活動していたのだそうです。
謎の画家と良く言われているようですが、現在になって展覧会が行われたり、テレビ番組「日曜美術館」で紹介されたりしているようです。
家族も気づかなかったなんて。おもしろいエピソード
会場で、なぞだなぞだといわれているので、いったい何がなぞだったのか、しばらくお話を聞いていると、小林かいち氏は性別も生没年もよくわからない存在だったのだとか。なんでこんなことが起こっていたのか、想像するとちょっと面白く感じてしまったのですが、このなぞがなぞだとわかるきっかけになったのは、小林かいち氏のご子息が、気づいたから。
かいちの次男は「小林かいち」と父である「小林嘉一郎」が同一人物であるとは知らず、かいちの展覧会が京都精華大学で開かれているのを、知人を通じて知り、同姓同名の「小林嘉一」の名で仕事をしていた父の遺品を調べた結果、父が制作した木版画のサインが、かいちの絵封筒に書かれているサインと一致した。
小林かいち – Wikipedia
このエピソードは、わたしはよくわかったなあと逆に驚きました。
これ、わかったとき、本当に驚いたでしょうね。
群馬県・伊香保 保科美術館で常設展示も
小林かいち氏の作品は、群馬県伊香保 保科美術館で常設展示されていると教えてもらえました。また小林かいちオリジナルグッズの通信販売も行われているようです。
HP:伊香保 保科美術館 – 群馬県渋川市伊香保町
参考/関連サイト
小林かいち – Wikipedia
伊香保 保科美術館 – 群馬県渋川市伊香保町
NHK 日曜美術館